日経ビジネスオンラインの記事で、日本人の話し言葉としての言語に対する危うい考えについて書かれている。
楽天・三木谷会長の英語にツッコむ日本人の本末転倒
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20101102/216917/
自分のたった数ヶ月の海外生活での経験でも、確かに文法や発音などそこそこ整っていれば問題なく、例えシマンテックの技術者とのコンピュータウィルスに関する議論であろうとも、片言&身振り手振りで議論は成立していた。
英語の教材などでベラベラしゃべられている音声の意味は理解できなくとも、専門家の専門的な話を直接聞くと、何を言っているのかがなぜかわかっていたというのが不思議だった。
英語に関しては、自分の体験でも同じような感覚だなぁと思ったが、記事で気になったのは、日本人の日本語に対する厳しさ。確かに、日本人の意識にある「完璧な英語を話したい」と同様に、日本で働く外国人に完璧な日本語を求めているのかもしれない。
その一方で、今日のワールドビジネスサテライトでの外国人労働者に関する話題で取り上げられたように、日本の製造業が生きていくために外国人の、特に営業を取り込んでいきたいという要望もあるのだろう。
ただ、放送にて取り上げられていた外国人は日本の製造業の強みを理解し、かつ、日本の文化を理解しているように見えた。(短いインタビューだけだからどこまで真実なのかは不確かではあるが)
日本人が外国に出て行くにしても、外国人が日本に入ってくるにしても、結局は相手の世界をいかに理解するかというところで、正確な言語力ではない。
結局は、「人」というところかな・・・。